「苦しんでいる人間は、他人との交流を楽しむことができない。他人が不要なのではない。人一倍他人を必要としている。が、候補となる「他人たち」を一人一人点検してみると、あらゆる人間が失格になる。なんとなれば、彼が求めている「他人」は、物静かで包容力があり、それでいて押しつけがましくない、現実には存在し得ない架空の人物像だからだ。
理想の他人は、不要な時には決して現れず、必要な時にはいつもそばにいる。頼りになり、邪魔にならず、神経にさわらず、余計な言葉を吐かず、しかもこちらの痛いところをつかないように常にデカい辞書を座右に置いている。「オダジマ禁句辞典」とかいう、巨大な書物を。
結局、苦しんでいる人間にとって、一般の他人は、やかましくて同調的で趣味の悪い、がさつな人間にしか見えない。理由は知らない。たぶん、他人に対する期待値が異常なのだろうな。病人だけに。」
『小田嶋隆のコラムの切り口』小田嶋隆著の、「読書の苦しみ」という枠でかいたコラムの一部です。
このコラムは何回か読みましたが、私には全体の意味は良くわかりませんでした。でも、先の文を読んで、私の近くにいる人が1人、まさにこの状態なのではないかと思われました。
とくに、以下2つがぴったり当てはまるように感じます。
・あらゆる人間が失格になる
・理想の他人は-神経にさわらず
とすると、もしかしたら、その人にはこの2つの可能性もあるのかも?
・苦しんでいる人間
・病人だけに
そんなことは全くの見当違いかもしれません。
でも、私にこの2つの視点が出来たことで、自身の行動を、変えたいという思いが芽生えました。
おごりでしょうか。
最近、「ここで手伝いを申し出るべきだろうな」と思うところでも、「私も余裕ないし」という気持ちにおおわれて、行動にうつさなかったことが、2つ3つ思い当たります。
まずは、自分のことに余裕を持てるようにし、プラス1の働きかけをしたいです。
ただ、自分のことに余裕を持てるようにするのが、また大仕事ですけれども。