「母」は何かと心配する生き物かと思います。
私も、娘達が離れたところで様子が見られない時、心配な気持ちになることがあります。
でも、それで「私はあなたが心配だ」とは伝えません。心配な時は離れていることが多いので物理的に伝えられません。
私の母は、基本的には離れて暮らしていますので、私や孫達の様子を直にはなかなか確認できません。
だからLINEでのやり取りに「心配だ」「心配だ」と入ってくることがあります。
これは、母の愛情で優しさからの言葉であることと分かります。
でも、やはり、「心配」という言葉をかけられると、時としてそれは呪いのように心を重くします。
「心配したってしょうがない。何にもならない。心配なら対策を立てれば良い。」と私は思うようになりました。
でも、私が心配事に対策を取っていたとしても、それを母に伝えなければ、母の心配はつきません。
昨日はそんな母の孫への心配を軽減できるよう、娘に元気な様子の動画を撮ってもらい、送りました。
母の安心につながると良いです。
と、「心配」について考えていたら、ドラマ「ドラゴン桜(2020年)」で「心配して損した!」というセリフが出てきました。私としては勝手に心配しておいて、損したとは何事だ!と感じました。
心配は、してもらわなくて結構。具体的な手助けをお願いします。と心の声が言っております。
心配するなら手を貸して!
「同情するなら金をくれ!」に近しいかも!?