今朝、1冊本を読み終えました。『IKIGAI 日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』(茂木健一郎著)です。

はじめに〈生きがい〉の5本柱が記載されています。

柱1:小さく始めること

柱2:自分からの解放

柱3:調和との持続可能性

柱4:小さな喜び

柱5:〈今ここ〉にいること

これらは〈生きがい〉が花開くための支えとなり、基礎となるものということです。

私は柱4を見つけるのが得意です。

•夫がアイスコーヒーを入れてくれました

•今日のお昼一緒にとる人ようにコーヒードリップパックを可愛い袋に入れました

•植木屋さんに挨拶ができました

•山手線車両で、隣りで立っている人が目の前に2つ空いた席の左に座ってくれたら私も座れるけど、右に座ったら私は座れないというデンジャラスシチュエーションで、隣の人が左に座ってくれたので、私も自然に座れました

この4つが、今朝起きてから出勤までの私の幸せポイントです。

どれも小さいことですね。

でも、私はこういう小さな喜びをつまんでつまんで日々の活力にしています。

そのため、〈生きがい〉について肯定的に捉えていますし、それで幸せ!と思います。

しかし、私が収入と別次元で〈生きがい〉について夫に話すと、「生活にお金が必要だから十分な収入を伴わない〈生きがい〉を大切にして何になる」というニュアンスの言葉が返ってきます。

そんなやり取りをしてから本を読み進めていくと、私には分からなくなってきました。

〈生きがい〉はまやかし?〈生きがい〉搾取?

はたまた資本主義社会には〈生きがい〉は生きにくい?

本書の入りでは〈生きがい〉大賛成の気持ちでしたが、夫との会話以降、〈生きがい〉を持ち我の道を行く方の具体例を読んでも、本当にそれが幸せか?と、斜に構えた心は素直に受け入れられなくなってしまいました。

本の初めに戻ります。

「〈生きがい〉は些細な物事に宿る。朝の空気、一杯のコーヒー、太陽の光、タコのマッサージ、アメリカ大統領の賛辞、これらはすべて対等の関係にある。あらゆる種類の豊かさを認識できる人だけが、本当に〈生きがい〉というものを理解し、楽しむことができるのだ。」

「•あなたにとって心から大事にしている1番のものは何か?

•あなたに喜びを与える小さなことは何か?

もっと幸せで、もっと実り多い人生にするために、あなた自身の〈生きがい〉を見つけることにおいて、これらの質問はとても良い手始めとなるのである。」