少し前ですが、『かがみの孤城』辻村深月著を読んだ週のことです。

そこそこ混んでいる通勤電車の中で、本を読んでいる女性が斜め前にいました。私は両手で荷物を持って腕を下げていたので手持ち無沙汰です。

ちろっと、その女性の読んでいる本に目を移したところ、「こころ」とか「マサムネ」や「ウレシノ」という登場人物の名前が見え、『かがみの孤城』を読んでいるのが分かりました。感想を話したくてうずうず。

もう少し前のことです。私は分厚い『パンセ』(上)(中)(下)パスカル著(岩波文庫)を数ヶ月かけて読みました。

同じように混んだ電車の中で、この人は『パンセ』の(中)か(下)を読んでいるのではないか!?と思われれる場面に遭遇しました。

その時はパンセに書かれていたことを興味深く思っていた時だっただけに、頭にビビーッと痺れがくるような感覚を受けました。

パンセは古典ですので、どうして今それを読んでいるのか、読んでどう思っているのか、普段は何をしているのか、などなど聞きたくてしょうがありませんでした。

私は本を読むのが好きなので、電車で隣に座っている人の本に付箋がついていたりすると、親近感を覚えます。

一昔前のインドネシアでは、知らない人にも当たり前に話しかける風習だったと聞いたことがあります。

それが当たり前だったら、電車内の読書をきっかけに、気の合う友人を見つかるかもしれないなぁと、夢想してみます。