『30日de源氏物語』読了しました。いやはや、紫式部が1,000年以上も前にこの源氏物語を書き始めて書ききったことがすごすぎます。当時は筆で一字一字丁寧に書いていましたでしょうに。どれだけの情熱と時間を注いだのでしょう。
そして当時の政治や宮中での華やかな文化、男女の機微など、詳しく解説してもらうことでやっと「そんな伏線が!」「そんな関係が!」「ここも繋がっていたの?」と驚きとワクワクを感じられる物語、それこそ夢のように感じます。
『30日de源氏物語』の30日目の章では、当時に物語がどう捉えられていたかも説明がありました。なんと、物語には嘘いつわりが書いてあり、儒教の教えに背く悪であるという見方が主流だったそうです。
そのような中、本居宣長は「人の情の感ずること、恋にまさるはなし」と明言したと紹介されていました。ここに本居宣長登場です。今まで私の中では国文学者だっけ?という程しか認識のない教科書の中の人でしたが、源氏物語の面白さに触れ、それを周囲の風潮に反して声高らかに擁護したというエピソードを聞いたら、一息で気になる存在になりました。三重県の松阪市出身です。私の父の出身に近いです。急に親近感が湧いてきて、推しにしたいと思いました!
これから本居宣長について語れるよう、注目していきます。
「物語は物のあはれをしるを、むねとはしたるに」
(本居宣長「源氏物語玉の小櫛」『本居宣長全集第四巻』大野著・大久保正編、筑摩書房1969年)
この言葉につづく文の最後を、本書では噛み砕いて紹介しています。「物語に、倫理的にアウトな恋愛を描いたとしてーーー私たちは濁った泥水を愛しているわけじゃない。そこから生まれる「もののあはれ」の花を、愛しているのだ。」
本居宣長の言葉です。ええ、格好いいですね。