この2月に「他者の幸せに関与できたという実感」が私の幸せを感じるポイントの1つだと発見しました。

ある日、定時を超えて業務をしていましたが、私の担当が終わりました。家のことがあるのですぐに帰りたいと思っています。しかし、目の前でまだまだ業務が山積みのチームメンバーがいます。

ひとつ、私が手伝えそうなこともありました。しかし、私の中ではリミット時間です。

この時、手伝いを申し出て「他者の幸せに関与できたという実感」による幸福感と、帰宅時間が遅くなり夕飯の準備やその後がうまくいかなくなる不幸感を天秤にかけ、私は帰宅が遅くなったときの不幸感の方が大きいと判断し、粛々と帰る準備をして帰路へ着きました。

完全に私目線の選択で相手のことを考えていないのですが…。

でも、この日の私の心は比較的穏やかでした。

おそらく、比較検討をした結果、幸福感を自ら放棄したという自覚をもっていたのが良かったのでしょう。その自覚がなかった場合、同じ行動をした場合、なんだか気が晴れないモヤモヤを抱えたと思われます。

自分自身について知ると、日々の選択やその後の気持ちの整理がしやすく、生きやすくなると実感しました。小さな事例ですけれども。

さて。不可解なのは昨日です。

昨日はお昼休みが取れないほどのスケジュールとなっていました。しかし、それらをどれもやりきりました。業務で私の予定していたTODOもやりきりました。そしてほぼ定時で帰ることができました。

さぞ、気分が晴れやかになるだろうと思われたのでが、そうはなりませんでした。なんだかモヤモヤします。その後、次女の習い事におけるやるべきこともやりましたのに、なんだかモヤモヤします。

なぜ今日の1日で気分が晴れないのか。自身のポイントが分かりません。

まだまだ、探求が必要です。