「明日死ぬと思って行動し、永遠に生きられると思って考える」と、森博嗣さんの『「思考」を育てる100の講義』の1限目で書かれていました。

さっそく本を閉じます。

前半部分、「明日死ぬと思って行動し」は、すんなり理解できました。

娘達が小3年、小5年生になった頃から、私がたとえ明日死んでも、もう2人は生きて行けるだろうと思えるようになりました。

そのため、私が明日死ぬとして、今日が最後の日になっても、満足と思える一日にしようと思いながら過ごしたいと、いつのまにかぼんやり思うようになっていました。

子ども達が家を出る時、一瞬、これが最後に?という思いがよぎったりします。

夫が出て行く時にも、もしこらで帰ってこなかったら?という問いが、よぎることもあります。

その先は考えていませんけれども。

「永遠に生きられると思って考える」のは、どういうことでしょう?

「自分の思考として、自分の人生を超えた時間を見通すこと、という意味だ。」とのことです。

私が自分ごととして捉えるには、子ども達の将来のある未来について、見通すというのとでしょうか?

できていない例として、明日やろう、来年やろうと行動を先延ばしにすることだそうです。

行動を先延ばしにしないことを心がけたら良いのでしょうか!?

ここのところは、ちょっとまだ分かりません。