日々のTODOに追われ疲弊している時に『加速する社会 近代における時間構造の変容』ハルトムート・ローザ著、出口剛司監訳を読みました。何か現状を変えるヒントを見つけらないかと思い手に取りましたが、その本は分厚すぎて、とても全ては読めませんでした。

それでも、例に挙げられていたミヒャエル・エンデの『モモ』の一文、「時間を節約すればするほどますます時間が足りなくなる」は、今なら良くわかります。

『モモ』は小か中学生の頃に読書感想文を書きましたが、当時に理解できていたか…。

もう1つ私の心を捉えた文がこちらです。

「時間への飢えは死へとはつながらない。いやむしろ、古代アテネの哲学者たちが見て取っていたように、そもそも生きてさえいないのである」。by生活時間研究者のジョン・P・ロビンソンとジェフリー・ゴッドベイ。

そもそも私は生きていなかった…。時間がないと嘆いていた屍です。おそろしや。さもありなん。

そして、本日出会った言葉が「機心」です。『天声人語2024秋』7月の「史上最大級のシステム障害」というコラムで紹介されていました。

「機心」とは何かと機械に頼り、効率ばかりを追いかけるようになるその心は不純だと、年老いた農夫が言ったという、中国の古典『荘子』が伝える有名な故事だそうです。約2300年前の中国戦国時代中期の頃です。

なんと、これはまさに生活テンポの上昇についての警報ではありませんか。今私が感じているモヤモヤは、まさに「機心」のためである気がします。

人の根本の悩みは、文明が発達しても環境が変わっても、それほど大きく変化しないのでしょうか。

戦争があちこちで起きていることも、同じように感じます。

人は繰り返し繰り返し、過ごしているのかもしれません。

現状を変えるどころか、ひどく虚しくなってきました。終わります。