今朝のNHKニュースで、推し活依存症で治療を模索している人々の話を見聞きしました。はじめは自身の楽しみではじめたのが、徐々に周りの人々への対抗心が芽生えたり、周りの人々の仲間でいるために無理をしはじめてしまい、苦しいのにやめられない。無ければ楽だと分かっているのにその喪失感を埋める手立てが他にないような状態の方々が紹介されていました。
辛いなら、離れたら良いのにと思いました。それが出来ないから依存症になってしまったのですけれど。
依存症は辛いと思っていましたが、ふと、私もその数歩手前に居たかもしれないと思い至りました。
私は地域の人々が集まって楽しむ会に所属しています。その場にたくさん助けられてきましたし、その場に行けばエネルギーをチャージできるような場です。
とても人間味豊かな場で、そこの人々との縁を大切にしたいと思っていました。しかし、その場をより楽しむために海外ホームステイに行ける等のイベントが数多くあり、家族で参加したとか、仲間と行ったなどと、日常的に話を聞いていると、私も行きくなってしまいます。ただ、毎回立派な金額が必要です。
行きたい。でも行けない。
もちろん、その場を楽しむのに必須のイベントではありません。ただ、私はあるのを知っています。
すると、私は行きたいと思ってしまうのです。でも行けません。
それは精神衛生上宜しくなく、心の平安を維持するべく、私は今その活動から離れています。
ただ離れ難く、細々と繋がっています。
そして、たまにその場へ行けば、やはりとても楽しく充実した気持ちになれるのです。離れ難いです。
それでも、私はラッキーなことに、他にも時間を取られることがあったので、忙しいからと自分に言い訳をしつつ、一旦離れることが出来ています。
少し状況が違えば、推し活依存症と同じようにキャッシュフローが破綻しても海外へ行ってしまっていたかもしれません。
依存を避けるためにも、拠り所は複数あるに限ります。

