先日、文学フリマへ行き、数多ある出店を見てまわりました。そのなかで次女は「あの本が気になる」「あの絵が好き」と、目ざとく好みを発見していました。

私は「きれいな絵だなぁ」「面白いタイトルだ」「グッズも充実している」など、見て楽しいは楽しいのですが、そこから私の好みの1つを見つけられる気がいたしません。

膨大に溢れている情報の中から自分の好みを抜き取る作業はとても骨の折れることだと感じます。次女にはなぜそれが自然にできるのか不思議です。

と思ったところで、日常でも同じようなことを感じていました。

次女のYouTubeの見方です。膨大にある動画の中から誰に勧められるわけでも(もちろん)なく、次々に動画に目を通していきます。YouTubeがオススメを提示はしてくれますが。そのなかで、好きなものを見つけています。

YouTubeやその他SNSと、フリマは似ている?もしかしたら、私よりフリマへの耐性は次女の方が身についていたのかもしれません。

よく言われる、選択肢が多すぎると選べなくなるという人間の選択肢に対する行動の法則「ジャムの法則」が、今の子ども達には当てはまらないのではないかと感じました。

これは、人間の特性変化の場面に立ち会っているのではないでしょうか。膨大な情報から好みをピックアップし他を排除する力が、自然と訓練されている?

そういえば、食べ物への好き嫌いもはっきりしていますし、ちょっとした味付けの違いで本人NGとなります。幅色く試そうという気持ちがほとんど感じられません。

バッサリバッサリと取捨選択していくスタイルになっているのでしょうか。これは次女の特性?

果たしてこれは、良いことなのかそうではないのか、現段階では分かりかねますが、私との違いを感じる出来事でした。