あれは私は小学低学年の頃だったと思う。暑い8月の夏休み。
父の連休を利用して家族5人で父の運転する車で3泊4日などの旅行をしていた。
それは野村家の恒例行事である。夏休みは父がプランを練り自家用車で旅行するのだ。時には車中泊もある。私は後部座席で横になって歌ったり眠ったりしていた。特に好きなのはその非日常からの帰り道、渋滞にはまり遅々として家に近づかない時だった。後部座席で横になりながら、カセットテープでシャーロックホームズの〝まだらの紐〟なんかを聞いていた。
父が運転をし、母は助手席に。姉と私が後ろの前の席に。兄が一番後ろの席に座っていることが多かった。
その時は海の近くの旅館であったか、山沿いのホテルであったか確かではないが、私の前には小さめの四角い白いテーブルがあった。
そしてきっとお皿があったはずだ。そのお皿に上にのっていたのがパイナップルだ。
それはちぎって食べるというパイナップルだった。今までパイナップルといえば、缶詰になった輪切りの薄く甘く黄色いものだった。
それが今回はパイナップルそのままが1つお皿の上に鎮座しているのだった。
どんな味がするのか、どのように食べるのかドキドキして見ていた記憶がある。そして私達はパイナップルのポコポコとした皮の形に沿って力を入れ、
名前の通りちぎった。手にはピンポン球よりは小さな黄色い塊。
良い香りである。口に入れてみた。なんとも甘い南国の楽園でさえずる小鳥の声が聞こえるような心持だったか。とにかくあのパイナップルは、特別に甘くて、ちぎって食べれるなんていう特別に面白い、旅行の中の特別の1つのものであった。
それから長いことちぎって食べれるパイナップルにはお目にかからなかった。
しかし私が2人の娘の母になってから、何度かちぎって食べれるパイナップルをスーパーで見ることがある。
しかし私はそれを手に取ることはない。
私は知っているから。きっとそれはおいしい記憶とともに甘い期待を持たないように食べたとしても、必ずやがっかりするであろうということを。
あの良い香りのするクレープを食べた時の気持ちと同じように感じるであろうということを。