来週が「第九」本番となりました!
指揮者の曽我先生は、「客席の方々が、歌詞の意味が分からなくても第九の歌詞のイメージが伝わるように」とおっしゃいます。
しかし、いまだに私の中にも第九の映像が浮かびません。
この状態で本番には望めません。現在週末にしっかりイメージを取り込まなくてはと取り組み中です。
『生誕250年 ベートーヴェン《第九》すみからすみまで』(『音楽の友』&『レコード芸術』編)より
•ベートーヴェンの《第九》は、ベートーヴェンから始まったものではなく、シラーの自由への希求がベートーヴェンにもヴェルディにも燃え移ったものなのだ。
「兄弟たちよ、星空の上に愛すべき父が住んでいるに違いない!」
この詩の「違いない」mussの上に、ベートーヴェンはスフォルツァンドをつけている。しかも、バス、テノールとアルト、ソプラノというように時間差をつけて、強調していることをはっきり聴衆に悟られるように書いている。「違いない」というシラーの表現の新しさにベートーヴェンが共感しているのだ。つまり、それまでの教会が支配する世界観では、「神はいるのだ」と上から威圧的に表現されたであろうが、シラーは、民衆の目線で「神が見ているに違いないから、みんなで頑張っていこうよ!」と勇気づけているのだ。こうしたベートーヴェンのスフォルツァンドに託した想いをけっして無視してはいけない。p30
•フロイデFreudeというのは、実はフライハイトFreiheit(自由)なんだ。その時分、ドイツのあの体制の中では「自由」という言葉を使えないから、代わりに「フロイデ(歓喜)」にしたんだと。p57
•第4楽章のコーダに入ると状況は一変する。それまで宗教楽器として使われてきたトロンボーンが、典型的な軍楽隊楽器としての用い方に変化するのだ。もちろん、他の楽器も同様で、民衆を表す合唱も、軍隊を表す軍楽隊楽器も、教会を表す宗教楽器も、みな同じ音楽を奏でながら曲は大団円を迎える。ベートーヴェンは、こうした形で、身分も宗教も政治も超えて人類が共に歌うといった理念を表現したのかもしれない。p109
•歓喜は人間の間の差異をつけている全てのものを結びつけてくp111
シラーとベートーヴェンによる《歓喜》、自由、神、女神、友、全ての人類が結びつけられる、歓喜。
イメージを映像化出来るように。